強制収容所送りとなった在日朝鮮人女性、その扱いは?

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強制収容所送りとなった在日朝鮮人女性、その扱いは?

『北朝鮮 隠された収容所』より、脱北者李順玉さんの証言から、帰国事業せ北送された在日朝鮮人が北朝鮮でどのような扱いを受けたかよく分かる箇所を引用します。

証言 第1号「教化所」/平安南道价川

平安南道价川の山深い谷にある第1号「教化所」は、何棟かの建物が並ぶ施設で、順玉さんがいた当時は六千人ほどが収容されていた。電気鉄条網がついた高い塀が、服役囚の宿舎や二階建ての工場、警備兵や管理官の事務所を取り囲んでいる。

★20 李順玉さんは、地海南さんと同じ「教化所」に入れられていた。地海南さんの証言は、このあとに掲載してあるが、二人とも、数力月の違いでここに収容されていた。二人に対しては別々にインタビューをおこなった。二人は互いに面識はなかった。順玉さんが述べた第1号「教化所」の人数は、近くの「教化所」の男性服役囚の数と、女性服役囚の数を合計したものである。

順玉さんが収監されていた当時、実際に罪を犯した人もいれば、政府が定めた規則にしたがわなかったために有罪とされた人もおり、一九八七年十一月時点で、日本から帰国した在日朝鮮人の女性が約二百五十人収監されていたと順玉さんは報告している。また、女性のなかには北朝鮮の生産・配給制度が滞るようになったことから、家族のために食糧を盗んで有罪になった主婦がいたとも報告している。

服役囚はトウモロコシや米、豆の混ざった食事を一日に七百グラム与えられることになっていた。しかし、警備兵が米と豆を食べてしまうため、服役囚一人につき一食で百グラムほど、一日でわずか三百グラムのトウモロコシしか与えられなかった。飢えは恒常的で、人間性を奪う環境におかれた服役囚たちは、一切れの食べ物をめぐって争った。

順玉さんが収監されていたあいだ、第1号「教化所」でのおもな労働は縫製と靴づくりであった。二つの仕事のなかでも、服役囚は靴づくりを嫌っていた。革を切ったり縫ったりするのは重労働であり、毒性のある糊を使っていたからである。縫製工場では当初、軍服をつくっていたが、のちにソ連向けのブラジャー、ポーランド向けのナプキン、日本に輸出する手編みのセーター、フランスに輸出する造花をつくるようになった。

女性の工場には裁断、縫製、機械の補修、事務などの部門があった。各部門には二百五十人から三百人が配属され、それぞれに監督と記録係、連絡係がいた。また、一つの部門は五十人から六十人の班に分けられ、その班のなかに五人から七人の作業班があり、服役囚のなかから選ばれた班長が一人いた。

作業班では、食事も睡眠もトイレ休憩までも全員が一緒にとった。新しく入ってきた者にとって、団体でトイレ休憩をとることに慣れるのは大変なことであった。最初は我慢できずに、濡れた服を着けたまま作業を続けなければならなかった。

一人が決まりを守れないと、その班全体が罰せられる。たいてい、個人や班の生産ノルマを達成できない場合であった。ただちに与えられる罰は、食事の量を減らすことであり、それを恐れた女性服役囚たちは、慢性的な身体の痛みを抱えたまま働きつづけた。冬には寒さで手や指がかじかみ、それが作業中の事故につながった。生産ノルマを気にしながら、流れた血で布地を汚すかもしれないと怯えながら作業した。

決まりを守れない服役囚は製靴工場へ移され、より厳しい刑として、「刑罰房」に長期間監禁された。そこは立つことも横になることもできないため、血液が循環しなくなり、身体が激しく痛んだ。

刑務所では、八十人から九十人の服役囚が、縦横およそ四メートル八十から六メートルの監房で頭と足をつき合わせて寝た。冬なら互いに寄り添って眠れば暖かいが、夏には監房の中はものすごく暑くなり、むかつくような臭いがした。そのため、埃が積もった床の上であろうが、みなが工場のミシンの下で寝たがった。

拘留中に死んだ服役囚の遺体は、死んだ動物のように山の中に打ち棄てられた。埋葬しないのは朝鮮の文化に反することであったにもかかわらず。年配の服役囚が若い者に罵られたり、蹴られたりすることもあったが、これも朝鮮の文化に反することである。縫製工場では縫い忘れがあったり、衣類を破損すると、蹴られたり殴られたりした。

何年にもわたってごくわずかな量の食事しか与えられず、重労働をさせられ、暴力をふるわれるので、脊柱や靭帯が目に見えて弱っていき、服役囚の多くが傴僂になった。

※補足:傴僂(せむし)、背骨がかがまって弓なりに曲がる病気。背が後方に盛りあがっている状態。

栄養失調による病気で死者が出、狭い「刑罰房」に入れられ、ときに服役囚たちの面前で公開処刑がおこなわれた。辛さに耐えかねて警備兵を罵ったり、公然と反抗した男性が処刑され、不満をもらした女性も処刑された。他の服役囚たちは列になって、処刑された遺体の脇を歩かされた。そのときに気を失ったり、叫んだり、抑えていた感情をあらわにしてしまう者もいたが、彼らの多くは独房に入れられた。公開処刑のあとの独房は人でいっぱいになった。

予想されていたことだが、刑務所の悪条件と労働制度のせいで、作業中の事故が頻発し、パラチフス(伝染病。長いあいだ続き、下痢による脱水症状を起こす)が蔓延していた。ごく少数ではあったが、妊娠して刑務所に入ってきた女性は注射を打たれ、強制的に堕胎させられた。

第1号「教化所」では、毎週自己批判とプロパガンダの集会があった。これは文字どおり「再教化」の集会であった。服役囚は金日成の年頭の教示を暗誦させられた。覚えられなかった者は罰せられた。暗誦を拒んだ男性は公開処刑された。

このような「再教化訓練」では、急進的な学生や抗議行動をする労働者を投獄していると言って、韓国を非難するラジオ放送なども聞かされた。これらの「奇妙な放送」を聞いた服役囚たちは衝撃を受けた。それらの韓国人の罪名は、北朝鮮では死刑に値する罪であったからである。

『北朝鮮 隠された強制収容所』P63-66

日本から北送された在日朝鮮人女性が約250人収監されており、日々強制労働に従事させられ、日本向けのセーターを作らされる。

それを仕入れて日本で売る人たちもいたのでしょう。きっと総連系の企業でしょうね。

当然在日朝鮮人だけでなく、多数の北朝鮮国民もいたわけです。

朝鮮同胞の生き血でできた製品を日本で売り、北朝鮮に外貨を送り、金一族の独裁体制維持に貢献する。

北朝鮮との経済交流がいかに非人道的な結果になるかがよく分かります。

目もくらむような人権蹂躙をする国。

それを認めず、存在しないと豪語する国。

日本や韓国には自分たちを責める前に「戦前の植民地支配を反省しろ」「軍事独裁政権時の人権蹂躙を反省しろ」と責任転嫁して、一向に朝鮮人弾圧をやめようとしない国。

それが北朝鮮です。

非核化も重要ですが、この人権蹂躙が改善されないかぎり、国交正常化も国際社会の一員として認めることも不可能に思えます。

日本人も韓国人も在日コリアンも、この事実から目を背けるべきではないように思います。

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